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No.09 「Friction」

No.09 「Friction」

"摩擦"摩擦とは、固体表面が互いに接しているとき、それらの間に相対運動を妨げる力(摩擦力)がはたらく現象をいう。軽いお話。「服を着る」今日、明日何を着ようか。ふとクローゼットを開けます。この時服を実際に着ることはなく、床に置いて組み合わせを見ます。試行錯誤。「よし、できた。」ようやく着てみる。何かが違う。しっくりこない。思ってたものと違う。皆さん、これよくなりませんか?この事例は僕もよくなります。特に時間がない時とか。ハンガーに通したまま組み合わせて「よし、こんな感じだろう」就寝。次の日、着てみる。全然ダメ。組み直し。あぁ、時間ないのに。平置きでの認識と、実際のアウトフィットでの対峙。おかしいな。自分的には思考的な組み合わせ(時代感、カルチャー、色味、ニュアンスなど)は良いはずなのに、人物を通すと何かが違う。視覚というレンズを通して"私という加工が入る"「着用する」という作業の重要性が窺えます。時代的にこの服がいい。あの人がこれがいいという。ぱっと見がかっこいい。物に価値がある。着てみる。似合う?のかな。よくわからない。服飾的な知識うんぬんもあると思う。「着用するという経験値」が足りないのかな。どうなんだろう。自分を知る。とにかく着てみる。いや、「着て、見る」とにかく「服を着る」"私"の重要性。それは、ユニクロでも、セカストでセールになっていたものでも、古着屋さんで買ったものでも、ブランドのものでも他の誰でもない「あなたが着ている」それでいて、自信が持てていて、おまけに、かっこいい、かわいいなんて思っている。とても気分がいい。それは「あなたが素敵だから」なんだと思う。装いから受ける印象は確かに大きいが、それはあくまで2次作用なようなもの。あなたがどんな人で、どんなことを考えて、どんなことを話して、どんな表情をとって。心の装い。人というファッション。善し悪しなんかで決めない。いくら重ねてもそれは剥がれる。取り繕うことなく、ありのまま。だから「服を着る」僕はこう見えて自信がないです。だからお洋服を着ているのかもしれません。自分に最大の自信があれば、極論裸でもいい。ボロボロのジーンズに白のよれよれのTシャツでだっていい。僕は「服を着る」自分という表面に、衣服という表面が接して、うまれる摩擦。テミスティオスは「動いている物体の運動をさらに強める方が、静止している物体を動かすより易しい」って言う。自分の摩擦力を高める方が、服での摩擦力を高めるより容易。マインドフルネスな話ですね。認知行動。昨日だって今日だって明日だって新品の服に袖を通すように、新しい自分と対面する。お洋服の商売をしています。が、しかし僕たちが選ぶ服を着ていただけているから素敵なのではなく今日の皆さん自身が素敵なんです。って伝えたい。そんな皆さんが、グッとくるお洋服や提案、あなた自身の摩擦力が高まるもの、それを一緒に考えて選べたりするお手伝いができることが幸せです。ファッションって両価性が強いのではないかと思います。だから摩擦がおきるのかな。相反している。相容れない。大好きだけど大嫌い。近いけど遠い。浮きたいけど目立ちたくない。きれいだけどきたない。かっこいいけどダサい。そんなことを思いながら僕たちは今日も「服を着る」僕たちとファッション。まだまだこれから。楽しみましょう。Mozzie

No.09 「Friction」

"摩擦"摩擦とは、固体表面が互いに接しているとき、それらの間に相対運動を妨げる力(摩擦力)がはたらく現象をいう。軽いお話。「服を着る」今日、明日何を着ようか。ふとクローゼットを開けます。この時服を実際に着ることはなく、床に置いて組み合わせを見ます。試行錯誤。「よし、できた。」ようやく着てみる。何かが違う。しっくりこない。思ってたものと違う。皆さん、これよくなりませんか?この事例は僕もよくなります。特に時間がない時とか。ハンガーに通したまま組み合わせて「よし、こんな感じだろう」就寝。次の日、着てみる。全然ダメ。組み直し。あぁ、時間ないのに。平置きでの認識と、実際のアウトフィットでの対峙。おかしいな。自分的には思考的な組み合わせ(時代感、カルチャー、色味、ニュアンスなど)は良いはずなのに、人物を通すと何かが違う。視覚というレンズを通して"私という加工が入る"「着用する」という作業の重要性が窺えます。時代的にこの服がいい。あの人がこれがいいという。ぱっと見がかっこいい。物に価値がある。着てみる。似合う?のかな。よくわからない。服飾的な知識うんぬんもあると思う。「着用するという経験値」が足りないのかな。どうなんだろう。自分を知る。とにかく着てみる。いや、「着て、見る」とにかく「服を着る」"私"の重要性。それは、ユニクロでも、セカストでセールになっていたものでも、古着屋さんで買ったものでも、ブランドのものでも他の誰でもない「あなたが着ている」それでいて、自信が持てていて、おまけに、かっこいい、かわいいなんて思っている。とても気分がいい。それは「あなたが素敵だから」なんだと思う。装いから受ける印象は確かに大きいが、それはあくまで2次作用なようなもの。あなたがどんな人で、どんなことを考えて、どんなことを話して、どんな表情をとって。心の装い。人というファッション。善し悪しなんかで決めない。いくら重ねてもそれは剥がれる。取り繕うことなく、ありのまま。だから「服を着る」僕はこう見えて自信がないです。だからお洋服を着ているのかもしれません。自分に最大の自信があれば、極論裸でもいい。ボロボロのジーンズに白のよれよれのTシャツでだっていい。僕は「服を着る」自分という表面に、衣服という表面が接して、うまれる摩擦。テミスティオスは「動いている物体の運動をさらに強める方が、静止している物体を動かすより易しい」って言う。自分の摩擦力を高める方が、服での摩擦力を高めるより容易。マインドフルネスな話ですね。認知行動。昨日だって今日だって明日だって新品の服に袖を通すように、新しい自分と対面する。お洋服の商売をしています。が、しかし僕たちが選ぶ服を着ていただけているから素敵なのではなく今日の皆さん自身が素敵なんです。って伝えたい。そんな皆さんが、グッとくるお洋服や提案、あなた自身の摩擦力が高まるもの、それを一緒に考えて選べたりするお手伝いができることが幸せです。ファッションって両価性が強いのではないかと思います。だから摩擦がおきるのかな。相反している。相容れない。大好きだけど大嫌い。近いけど遠い。浮きたいけど目立ちたくない。きれいだけどきたない。かっこいいけどダサい。そんなことを思いながら僕たちは今日も「服を着る」僕たちとファッション。まだまだこれから。楽しみましょう。Mozzie

No.08 「一杯のコーヒー」

No.08 「一杯のコーヒー」

皆さん、こんにちは。 僕、コーヒー好きなんですが皆さんお好きですか? ※好きと言ってもコーヒーの種類(知識)や味の違いがはっきりわかる男ではありません。(そうでありたかった) 昔はミルクコーヒーじゃないと飲めませんでした。ちなみに雪印コーヒーが大好きでしたね。 しかし、いつの頃からか背伸びをするようにブラックコーヒーにチャレンジして今では常飲しています。初めて飲んだ時は苦いしか思わなかったですねぇ。それが段々と美味しい!苦みさえもいい!なんて。 そんなことを思いだしてからは毎日飲んでますね。飲まないと一日が始まらない感じというか、そわそわしますね。 なにかこの症状ってお洋服にも通ずる部分ありそうな気がしませんか? 単に中毒症状という言葉では片付けれない。 片付けたくないが正しいかな。 ファッション中毒は確かですが、もっと明確なものがありそうじゃないですか。   「一杯のコーヒーで始まる一日」    そんな言葉はないのですが、「コーヒーシチュエーション」って言葉があってほしい。 言葉の通り、コーヒーのシチュエーション。 飲む場所、環境、状況によって大きく左右されませんか? 例えば、朝ご飯終わりの一杯。それも粉末の簡易式コーヒー。 暑い日に飲むセブンイレブンのアイスコーヒー。 近所の喫茶店に行って店内に流れるジャズを聴きながら飲むコーヒー。 例に出したシチュエーションだけでも、かなり感じ方が違うはず。 味は勿論、心境とかも。 服なんかでもそうなんじゃないかなって。 今ではインターネットでタップするだけで家にいても買えちゃう時代です。 そんな時代の最中、足を運んで古着屋にいって買うお洋服。 頑張って貯めた給料で百貨店にいって買うお洋服。 様々なシチュエーションがあるからこそ、前記したコーヒーのように「ファッションの"味"」が変わってきますよね。 消費行動について書きましたが、他にも沢山ありますよね。 アウトフィットなんかに関してもそう。 友達と一緒に海へ行く格好。 ちょっとコンビニまでの格好。...

No.08 「一杯のコーヒー」

皆さん、こんにちは。 僕、コーヒー好きなんですが皆さんお好きですか? ※好きと言ってもコーヒーの種類(知識)や味の違いがはっきりわかる男ではありません。(そうでありたかった) 昔はミルクコーヒーじゃないと飲めませんでした。ちなみに雪印コーヒーが大好きでしたね。 しかし、いつの頃からか背伸びをするようにブラックコーヒーにチャレンジして今では常飲しています。初めて飲んだ時は苦いしか思わなかったですねぇ。それが段々と美味しい!苦みさえもいい!なんて。 そんなことを思いだしてからは毎日飲んでますね。飲まないと一日が始まらない感じというか、そわそわしますね。 なにかこの症状ってお洋服にも通ずる部分ありそうな気がしませんか? 単に中毒症状という言葉では片付けれない。 片付けたくないが正しいかな。 ファッション中毒は確かですが、もっと明確なものがありそうじゃないですか。   「一杯のコーヒーで始まる一日」    そんな言葉はないのですが、「コーヒーシチュエーション」って言葉があってほしい。 言葉の通り、コーヒーのシチュエーション。 飲む場所、環境、状況によって大きく左右されませんか? 例えば、朝ご飯終わりの一杯。それも粉末の簡易式コーヒー。 暑い日に飲むセブンイレブンのアイスコーヒー。 近所の喫茶店に行って店内に流れるジャズを聴きながら飲むコーヒー。 例に出したシチュエーションだけでも、かなり感じ方が違うはず。 味は勿論、心境とかも。 服なんかでもそうなんじゃないかなって。 今ではインターネットでタップするだけで家にいても買えちゃう時代です。 そんな時代の最中、足を運んで古着屋にいって買うお洋服。 頑張って貯めた給料で百貨店にいって買うお洋服。 様々なシチュエーションがあるからこそ、前記したコーヒーのように「ファッションの"味"」が変わってきますよね。 消費行動について書きましたが、他にも沢山ありますよね。 アウトフィットなんかに関してもそう。 友達と一緒に海へ行く格好。 ちょっとコンビニまでの格好。...

No.07 「異質な同行者」

No.07 「異質な同行者」

こんにちは。 皆さん、普段の生活の中で、ふとした時に "自分ではない瞬間(感覚)"になる時ってありせんか? なんていうんでしょうね。 誰かいるような? 自分ではないなにか? それともそれが自分? (※私は霊感はありません。ましてや、怖い話や、精神異常的な、何かが見える話ではないです。笑) 常に隣り合わせ。共に暮らしている。 僕の中で暮らす誰か。 厄介なのが、"ヤツ"はいつもは同質。 同じ事を思い、同じ事をしてくる。 全く違和感がないんですね。 服を着る際にも同様、同じ様な感覚、着方をし違和感なく暮らす。 ふとした時なのか、何かしらの情報があってからなのか、"ヤツ"は姿を見せます。 何着ても、どんな魅せ方をしようと、全てを否定?まではしないか。 なにかこう「違和感」として姿を現します。 性質的な違いは別に悪い事ばかりではないはずなのですが、僕の中の"ヤツ"は不安や恐怖みたいな威圧的な"ヤツ"です。 自分が自分ではない様な。 皆さんもあったりしますか? 鏡に写る自分を見て違うことしている感覚。 あれ?君が僕? 僕が君? 僕はどっち? って言う様な。    そんな"ヤツ"の正体?なのかな。 "exformation" 「情報化されていない非情報」的なものだと思っています。 僕は"information"...

No.07 「異質な同行者」

こんにちは。 皆さん、普段の生活の中で、ふとした時に "自分ではない瞬間(感覚)"になる時ってありせんか? なんていうんでしょうね。 誰かいるような? 自分ではないなにか? それともそれが自分? (※私は霊感はありません。ましてや、怖い話や、精神異常的な、何かが見える話ではないです。笑) 常に隣り合わせ。共に暮らしている。 僕の中で暮らす誰か。 厄介なのが、"ヤツ"はいつもは同質。 同じ事を思い、同じ事をしてくる。 全く違和感がないんですね。 服を着る際にも同様、同じ様な感覚、着方をし違和感なく暮らす。 ふとした時なのか、何かしらの情報があってからなのか、"ヤツ"は姿を見せます。 何着ても、どんな魅せ方をしようと、全てを否定?まではしないか。 なにかこう「違和感」として姿を現します。 性質的な違いは別に悪い事ばかりではないはずなのですが、僕の中の"ヤツ"は不安や恐怖みたいな威圧的な"ヤツ"です。 自分が自分ではない様な。 皆さんもあったりしますか? 鏡に写る自分を見て違うことしている感覚。 あれ?君が僕? 僕が君? 僕はどっち? って言う様な。    そんな"ヤツ"の正体?なのかな。 "exformation" 「情報化されていない非情報」的なものだと思っています。 僕は"information"...

No.06 「自由な囚人」

No.06 「自由な囚人」

 こんにちは。 最近暑くて暑くてたまりませんよね。 ここ最近のブログでは、「暑い暑い」ばかり言ってる気がします。 でも、仕方ないですよね?この暑さ。 敵いません。 暑い日に暑いと言う。 なんとも平坦なこと言ってますね。 暑さに囚われている。いや、表現方法は自由なのだから、囚われているのは自分であって暑さではないのかも。    「自由な囚人」 なんともまあ矛盾しているように聞こえます。 範馬刃牙でいう、ミスターアンチェインことビスケット・オリバ。 まああの人は本当に自由ですね。 囚人でありながら、犯罪者ハンター。 世界で最も自由と称されます。 彼のように自由はないかもしれないですけど、私たちはある種、何かしらに囚われ、何かしらの自由を与えられている。 そんな気がします。    ファッションにおいて、正解(世間的になのか、自己的なのか)がないと自己理解している。のにも関わらず不正解(正解ケースと同様)と思っている。 自己判断していると思っていても実は、あの人にこう思われたらどうしよう。と不安を抱えている時だってある。 これとこれはなし!これはこうだからこう!なんて思う時もあるし。 自信持ってコーデを組んでルンルンでInstagramに写真をあげた所、自分が思っていたより評価が悪く、それが自己に向けられた直接的評価かのように感じ落胆してしまう。とか。 僕もそうです。結構あります。 これらが決して間違っているなんて主張しません。皆さんそうだと思ってます。そして日常でも。   改めて考えてみると、自由って不自由さも生じますよね。 自由の定義は、「他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意思や本性に従っていること」 できているようでできていない。 できていないようでできている。 あべこべ。矛盾?ごちゃごちゃ。...

No.06 「自由な囚人」

 こんにちは。 最近暑くて暑くてたまりませんよね。 ここ最近のブログでは、「暑い暑い」ばかり言ってる気がします。 でも、仕方ないですよね?この暑さ。 敵いません。 暑い日に暑いと言う。 なんとも平坦なこと言ってますね。 暑さに囚われている。いや、表現方法は自由なのだから、囚われているのは自分であって暑さではないのかも。    「自由な囚人」 なんともまあ矛盾しているように聞こえます。 範馬刃牙でいう、ミスターアンチェインことビスケット・オリバ。 まああの人は本当に自由ですね。 囚人でありながら、犯罪者ハンター。 世界で最も自由と称されます。 彼のように自由はないかもしれないですけど、私たちはある種、何かしらに囚われ、何かしらの自由を与えられている。 そんな気がします。    ファッションにおいて、正解(世間的になのか、自己的なのか)がないと自己理解している。のにも関わらず不正解(正解ケースと同様)と思っている。 自己判断していると思っていても実は、あの人にこう思われたらどうしよう。と不安を抱えている時だってある。 これとこれはなし!これはこうだからこう!なんて思う時もあるし。 自信持ってコーデを組んでルンルンでInstagramに写真をあげた所、自分が思っていたより評価が悪く、それが自己に向けられた直接的評価かのように感じ落胆してしまう。とか。 僕もそうです。結構あります。 これらが決して間違っているなんて主張しません。皆さんそうだと思ってます。そして日常でも。   改めて考えてみると、自由って不自由さも生じますよね。 自由の定義は、「他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意思や本性に従っていること」 できているようでできていない。 できていないようでできている。 あべこべ。矛盾?ごちゃごちゃ。...

No.05 「Ride the waves」

No.05 「Ride the waves」

 こんにちは。こんなに暑い日が続くと、僕は海に行きたくなります。最近海開きをしたビーチをよく見かけます。皆さんは普段海に行ったりしますか?というか好きですか?もう行ってる方や、大好きな方も多いと思います。女性や意識の高い男性なんかも、髪の毛の色落ちやお肌の日焼けを気にして中々行ったりすることも少ないのでしょうか。僕は最近とても海に行きたくなる映画を観ました。「エンドレス•サマー」 ブルース•ブラウン監督 公開は1966年、サーフフィルムの金字塔ですからご存知の方も多いはず。最近デジタルリマスター版やっていますね。ご存知ない方の為に一応さらりと説明。3人カリフォルニアボーイが"最高の波"を求めて世界を旅するドキュメンタリー映画なんですけど、まんまと「海いきてぇ!サーフィンかっけぇ!」ってなる映画です。(僕自身もそのうちの1人)主演は無論リアルサーファー。マイク•ヒンソンとロバート•オーガストの2人がテクニカルにそして優雅で艶美に波に乗る姿にとても魅了されます。サーフカルチャー自体、ファッションというレンズで見た時にも関係性は明白かと思います。だから、今回のお話は、サーフカルチャーについて…ではなく、彼らの"波にのる"姿からうけたファッションのお話。「エンドレスサマー。いや、エンドレスファッション。」「終わらない夏。いや、終わらないファッション。」  彼らが、最高の波(パーフェクトウェーブ)を探す様に。我々も最高のファッションを探しています。最高のファッションって何でしょうね。(自身の中に)ファッションのバイブルがあって、最高の波にのってこその最高のファッションができそう。かも。最高の波が来た際に経験も勿論、テクニックが必要になりますよね。劇中でもいくつかでてきましたね。アップス&ダウン、トップターン、ローラーコースター、フローター、ボトムターン、カットバク…など基本から上級まで様々なテクニックが求められます。ファッションだとどうでしょう。カルチャー、時代、ファブリック、メーカー、ブランド、サイズ、色、アイテム種類、ディテール…みたいな波が来た時に乗りこなすテクニックって、例えばAラインを作るや、レイヤードするみたいなラインシルエットでの調整。フェニミン、マニッシュ、モードぽくする(風というか印象)的なアイテムチョイスによる印象操作。同色、近い色、対色みたいなカラーの選択。こちらも印象操作ですかね。…なんかあれですね。うん。ファッションって業界用語多いと思うんですけど、サーフィンのテクニックみたいな名前増やして欲しいですよね。なんかかっこいいし。少ないですよね、(レイヤード、ロールアップとか)言いたいんです。(コーデの基本はハードオリエンタルで〜ここでジャンプスイッチすることによって〜気付きました?地味にサンダルリズムやってるんすよね今日)※そんな言葉ありません。が、使ってもいいですよ。さすがAppearance World(外見世界)外部的な、内部的な用語が多いですね。それでいいとも思う。こんな前記しときながら、ファッションの話自体が野暮なんですよね。基本。言語化が難しいのもファッションの魅力でもあります。テクニックがあったからといえ、だからどうした。だからなんだとも思う。しかし、だからすごい。深みがでて幅も知れる。こだわりのようなアイデンティティ、その人らしさが出る。とも思う。そしてテクニックに付随する、知識やキャリア。 私たちはどこまで考えてファッションをするのでしょうか___ カリフォルニアのサーフィンの哲学?言葉?があります。「陸で考え、海では本能で」ファッションで置き換えると「服で考え、ファッションでは本能で」と言ったところでしょうか。 思考的(知識や経験による見解なども)になることも必要。そして、時間もお金も経験も必要となってきます。しかし、そこばかり注視していては自分のフィーリング(感じるもの)が薄れてしまいます。サーフィンもファッションも前提に「楽しむ」ことが大事だと思います。楽しむ為に、楽しむ。楽しむのも技術。楽しむ為に考えて、得る。 「もしあなたが考えていたらあなたはサーフィンをやっていない」そうかもしれない。な。 「私は海を愛する、何か無限なものが動いて居る様に思ふのである。」-鎌倉雑詠より 西田幾多郎海にいる生物も動いている。そして波や色、気温、音も変化し動く。西田が海に執着し、愛してやまない。そして希求してやまないものと同様、私たちが愛するファッションも無限に動き変化するもの。だからこそ、強く惹かれる。日々ファッションをする中で得れる経験、知識、技術、感覚。時代なのかも…"自分の波より、周りの波にのる"ファッションにより自己表現、仕事、フレックスなどをする中で、本質的な「楽しむ」事を忘れている。気がする。映像での彼らは、"最高の波"を探求し、それにのることを心から楽しんでいました。映像だからではないと思います。普段からそう。そして現在も。 「The best surfer out there is the one having the most fun.一番良いサーファーは、一番楽しんでいる人だ」 -Phil Edwards 終わらないファッション。「楽しむ」そして、お店が、僕が皆さんの" 最高の波 "の発端であれるように。波を起こすための風。僕たちの夏。まだまだこれから。福山から起こす小さな風_Mozzie

No.05 「Ride the waves」

 こんにちは。こんなに暑い日が続くと、僕は海に行きたくなります。最近海開きをしたビーチをよく見かけます。皆さんは普段海に行ったりしますか?というか好きですか?もう行ってる方や、大好きな方も多いと思います。女性や意識の高い男性なんかも、髪の毛の色落ちやお肌の日焼けを気にして中々行ったりすることも少ないのでしょうか。僕は最近とても海に行きたくなる映画を観ました。「エンドレス•サマー」 ブルース•ブラウン監督 公開は1966年、サーフフィルムの金字塔ですからご存知の方も多いはず。最近デジタルリマスター版やっていますね。ご存知ない方の為に一応さらりと説明。3人カリフォルニアボーイが"最高の波"を求めて世界を旅するドキュメンタリー映画なんですけど、まんまと「海いきてぇ!サーフィンかっけぇ!」ってなる映画です。(僕自身もそのうちの1人)主演は無論リアルサーファー。マイク•ヒンソンとロバート•オーガストの2人がテクニカルにそして優雅で艶美に波に乗る姿にとても魅了されます。サーフカルチャー自体、ファッションというレンズで見た時にも関係性は明白かと思います。だから、今回のお話は、サーフカルチャーについて…ではなく、彼らの"波にのる"姿からうけたファッションのお話。「エンドレスサマー。いや、エンドレスファッション。」「終わらない夏。いや、終わらないファッション。」  彼らが、最高の波(パーフェクトウェーブ)を探す様に。我々も最高のファッションを探しています。最高のファッションって何でしょうね。(自身の中に)ファッションのバイブルがあって、最高の波にのってこその最高のファッションができそう。かも。最高の波が来た際に経験も勿論、テクニックが必要になりますよね。劇中でもいくつかでてきましたね。アップス&ダウン、トップターン、ローラーコースター、フローター、ボトムターン、カットバク…など基本から上級まで様々なテクニックが求められます。ファッションだとどうでしょう。カルチャー、時代、ファブリック、メーカー、ブランド、サイズ、色、アイテム種類、ディテール…みたいな波が来た時に乗りこなすテクニックって、例えばAラインを作るや、レイヤードするみたいなラインシルエットでの調整。フェニミン、マニッシュ、モードぽくする(風というか印象)的なアイテムチョイスによる印象操作。同色、近い色、対色みたいなカラーの選択。こちらも印象操作ですかね。…なんかあれですね。うん。ファッションって業界用語多いと思うんですけど、サーフィンのテクニックみたいな名前増やして欲しいですよね。なんかかっこいいし。少ないですよね、(レイヤード、ロールアップとか)言いたいんです。(コーデの基本はハードオリエンタルで〜ここでジャンプスイッチすることによって〜気付きました?地味にサンダルリズムやってるんすよね今日)※そんな言葉ありません。が、使ってもいいですよ。さすがAppearance World(外見世界)外部的な、内部的な用語が多いですね。それでいいとも思う。こんな前記しときながら、ファッションの話自体が野暮なんですよね。基本。言語化が難しいのもファッションの魅力でもあります。テクニックがあったからといえ、だからどうした。だからなんだとも思う。しかし、だからすごい。深みがでて幅も知れる。こだわりのようなアイデンティティ、その人らしさが出る。とも思う。そしてテクニックに付随する、知識やキャリア。 私たちはどこまで考えてファッションをするのでしょうか___ カリフォルニアのサーフィンの哲学?言葉?があります。「陸で考え、海では本能で」ファッションで置き換えると「服で考え、ファッションでは本能で」と言ったところでしょうか。 思考的(知識や経験による見解なども)になることも必要。そして、時間もお金も経験も必要となってきます。しかし、そこばかり注視していては自分のフィーリング(感じるもの)が薄れてしまいます。サーフィンもファッションも前提に「楽しむ」ことが大事だと思います。楽しむ為に、楽しむ。楽しむのも技術。楽しむ為に考えて、得る。 「もしあなたが考えていたらあなたはサーフィンをやっていない」そうかもしれない。な。 「私は海を愛する、何か無限なものが動いて居る様に思ふのである。」-鎌倉雑詠より 西田幾多郎海にいる生物も動いている。そして波や色、気温、音も変化し動く。西田が海に執着し、愛してやまない。そして希求してやまないものと同様、私たちが愛するファッションも無限に動き変化するもの。だからこそ、強く惹かれる。日々ファッションをする中で得れる経験、知識、技術、感覚。時代なのかも…"自分の波より、周りの波にのる"ファッションにより自己表現、仕事、フレックスなどをする中で、本質的な「楽しむ」事を忘れている。気がする。映像での彼らは、"最高の波"を探求し、それにのることを心から楽しんでいました。映像だからではないと思います。普段からそう。そして現在も。 「The best surfer out there is the one having the most fun.一番良いサーファーは、一番楽しんでいる人だ」 -Phil Edwards 終わらないファッション。「楽しむ」そして、お店が、僕が皆さんの" 最高の波 "の発端であれるように。波を起こすための風。僕たちの夏。まだまだこれから。福山から起こす小さな風_Mozzie

No.04 「Rhythm」

No.04 「Rhythm」

 こんにちは。日に日に夏を感じる今日この頃。とにかくアツいですよね、本当に。外に出るのが嫌になって来ます。それでも皆さん体調に気をつけながら、Summer Vibes高めてファッションも遊びも仕事も全力で楽しみましょうね。さて、気温もさることながら最近"アツい"お洋服との出会いってありましたか?僕はありましたよ。というより割と日常的に"アツい"を感じています。お洋服のお仕事をさせてもらっているというのも勿論あるとは思いますけどね。それでも"アツい"ってなってます。まあ熱しやすく冷めやすいんですけどね。それは一体どんなお洋服?と聞かれると、表現に困ります。そうですね。感情温度計なるものがあるとすれば、あるお洋服との出会いで何か感じることにより、こちらの感情温度計は上昇し、基準値の沸点を超えると"アツい"ってなります。こんな感じ。 …分かりにくいですよね。では、もう一つの例え。例えというより、実際に僕が感じるもの。それは「お洋服が奏でる音」です。勿論、生地の擦れからくるような物質的な音ではないです。お洋服から感じる音は、正確には「聞こえない音」。言い方を変えると「感じる音」というところですかね。お洋服に対する絶対音感のような。これは格好良く言い過ぎですが、常にお洋服たちが奏でる音に耳を傾けています。その音の正体って一体何でしょうかね。格好つけた割に案外分かっていません。お洋服の特徴(ディテールによる細部など。他にも時代、人、場所、文化、スタイルなど様々)から感じる音ではあると思っています。それを耳にし、目にし、肌で感じることで、音がリズムに変わります。これは、僕の特別持ち合わせている能力(だったらいいな)ではなくファッションをこよなく愛する皆さんは、このリズムを感じているはずなのです。拍子のような一定数の拍の集まりではなく、リズムとして__ ドイツの心理学者クラーゲスのリズム論では、「拍子が同一者の反復だとするならば、リズムは類似者の再帰だといわねばならない。拍子は反復し、リズムは更新する。」そして、リズムは僕たちがそれをリズムだと捉えることができるある種のまとまりを備えている。まとまりがなく不規則なものが進むものは、音声効果も視覚的にもリズムは感じれない。まとまりといっても、反復でしかないのであれば、リズムというより拍子に過ぎない。同じまとまりの繰り返しだと捉えることができつつも、少しずつ変化しながら、再び返ってくることがリズムの成立要件だと考えている。クラーゲスのリズム論、僕はとてもファッションを感じます。各形式に置き換えてお話をすれば、かなり時間がかかるので省略しますが、お洋服が奏でる音以外にも当てはまることが沢山ある気がします。よね?※時代?人?(これは小さな抵抗というか文句的な)だからこそ、考えて(音を聞いて)みてリズムを感じて下さい。 僕たちにある内的なリズムと外的なリズムは共鳴し、反発します。僕たちは、そのリズムで歌を歌ったり、リズムを聞いて踊ったりする、アーティストやダンサーのような、リズムを生み出す人もいたりと、リズミカルに「ファッション」をしています。フランスの哲学者ドゥルーズも、リズムは変換の中にあり、自由であり、それゆえ内部に留まらず、外に出ていくことができる。と言います。「お洋服が奏でる音」から「ファッションでとるリズム」。等しくも異なるもので生まれるハーモニー。そのリズムやハーモニーは僕たちの"アツい"を加速させます。「リズムとハーモニーは、魂のもっとも深いところに至る道を持っている。」-古代ギリシア哲学者 プラトン 格好つけた割に実力はまだまだ未熟です。すみません。いい音楽を聞いて鳥肌が立つように。皆さんに、いい音を奏でるお洋服達を提供できるように、そしていいリズムを刻む僕(お店)であれるように努めて参ります。 さあ、ファッション。まだまだこれから。福山から奏でる小さな"アツい"音__Mozzie

No.04 「Rhythm」

 こんにちは。日に日に夏を感じる今日この頃。とにかくアツいですよね、本当に。外に出るのが嫌になって来ます。それでも皆さん体調に気をつけながら、Summer Vibes高めてファッションも遊びも仕事も全力で楽しみましょうね。さて、気温もさることながら最近"アツい"お洋服との出会いってありましたか?僕はありましたよ。というより割と日常的に"アツい"を感じています。お洋服のお仕事をさせてもらっているというのも勿論あるとは思いますけどね。それでも"アツい"ってなってます。まあ熱しやすく冷めやすいんですけどね。それは一体どんなお洋服?と聞かれると、表現に困ります。そうですね。感情温度計なるものがあるとすれば、あるお洋服との出会いで何か感じることにより、こちらの感情温度計は上昇し、基準値の沸点を超えると"アツい"ってなります。こんな感じ。 …分かりにくいですよね。では、もう一つの例え。例えというより、実際に僕が感じるもの。それは「お洋服が奏でる音」です。勿論、生地の擦れからくるような物質的な音ではないです。お洋服から感じる音は、正確には「聞こえない音」。言い方を変えると「感じる音」というところですかね。お洋服に対する絶対音感のような。これは格好良く言い過ぎですが、常にお洋服たちが奏でる音に耳を傾けています。その音の正体って一体何でしょうかね。格好つけた割に案外分かっていません。お洋服の特徴(ディテールによる細部など。他にも時代、人、場所、文化、スタイルなど様々)から感じる音ではあると思っています。それを耳にし、目にし、肌で感じることで、音がリズムに変わります。これは、僕の特別持ち合わせている能力(だったらいいな)ではなくファッションをこよなく愛する皆さんは、このリズムを感じているはずなのです。拍子のような一定数の拍の集まりではなく、リズムとして__ ドイツの心理学者クラーゲスのリズム論では、「拍子が同一者の反復だとするならば、リズムは類似者の再帰だといわねばならない。拍子は反復し、リズムは更新する。」そして、リズムは僕たちがそれをリズムだと捉えることができるある種のまとまりを備えている。まとまりがなく不規則なものが進むものは、音声効果も視覚的にもリズムは感じれない。まとまりといっても、反復でしかないのであれば、リズムというより拍子に過ぎない。同じまとまりの繰り返しだと捉えることができつつも、少しずつ変化しながら、再び返ってくることがリズムの成立要件だと考えている。クラーゲスのリズム論、僕はとてもファッションを感じます。各形式に置き換えてお話をすれば、かなり時間がかかるので省略しますが、お洋服が奏でる音以外にも当てはまることが沢山ある気がします。よね?※時代?人?(これは小さな抵抗というか文句的な)だからこそ、考えて(音を聞いて)みてリズムを感じて下さい。 僕たちにある内的なリズムと外的なリズムは共鳴し、反発します。僕たちは、そのリズムで歌を歌ったり、リズムを聞いて踊ったりする、アーティストやダンサーのような、リズムを生み出す人もいたりと、リズミカルに「ファッション」をしています。フランスの哲学者ドゥルーズも、リズムは変換の中にあり、自由であり、それゆえ内部に留まらず、外に出ていくことができる。と言います。「お洋服が奏でる音」から「ファッションでとるリズム」。等しくも異なるもので生まれるハーモニー。そのリズムやハーモニーは僕たちの"アツい"を加速させます。「リズムとハーモニーは、魂のもっとも深いところに至る道を持っている。」-古代ギリシア哲学者 プラトン 格好つけた割に実力はまだまだ未熟です。すみません。いい音楽を聞いて鳥肌が立つように。皆さんに、いい音を奏でるお洋服達を提供できるように、そしていいリズムを刻む僕(お店)であれるように努めて参ります。 さあ、ファッション。まだまだこれから。福山から奏でる小さな"アツい"音__Mozzie