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No.03 「外で繕い、内を知る。」

No.03 「外で繕い、内を知る。」

こんにちは。近頃の気温上昇に反して、下降する"ファッションバイブス"なんだか着用枚数とリンクしてる感じがしませんか?春夏はどうしても簡素になる。というか、着用する衣服枚数が少ない。なんだこの不安感。秋冬は寒い。だから、厚みを作ります。着用する衣服枚数は増え、身を包む。ほっこり安心感。使用する(着用する)アイテムが増えると、自然と組み合わせの楽しさがでますよね。『露わになる"衣"としての責務』そんなことを感じながら、私たちは服を着る。何気なく着用する衣服。繕い。恒常的に起きるノンバーバル・コミュニケーション(非言語情報伝達)。ただ着用するのではなく、私たちは"選択"をしています。気温、機能、環境、人々、集団、社会、象徴、文化、流行など、様々な状況下における選択。選択、判断、主張。その人らしさ。個性。アイデンティティ。 自己表現(私たちでいうファッション)において最大の武器であるアイデンティティ。反面、常に付き纏うアイデンティティの構成でおこる、自我同一性の拡散。エリクソンのライフサイクル理論、"アイデンティティの危機(拡散/混乱)"がおこる。まるで、青年期の発達課題のようなことがファッションを通して起きている感じがしますね。『"個"を主張すればするほど、その"個"にのまれる』そんな感覚。 本日の題目でもある『外で繕い、内を知る』選択した服を着る(外部を繕う)生じるアイデンティティ(内部を知る)みたいな。ね?イメージ。皆さんにとっての自分らしさって?外的要素、内的要素様々かと思います。改めて考えると難しいものですよね。僕自身同じ問いに対して、パッと答えはでません。僕は、以前までは、"内を知るのが嫌だった。信用もなく期待もしていない。そんな自分を隠すため外で繕っていた" (個で個を殺す)こんな感じ。イヤイヤ期。自分を知り理解することをしてませんでした。正直現在においても嫌なところばかりなんです。他と比較し絶望、焦り、恐怖、不安を感じ、期待もなく見込みもない。弱く小さく、ほんの一欠片でしかないことで押し寄せる無力感。そんな弱者である自分と向き合い、理解し、愛すること。現状は変わりなく。しかし"弱者"だからこそ"強者"への強い憧れがあります。※動物行動学用語でいうディスプレーのようなもの。(動物が求愛や威嚇の際に,相手に自分を大きく見せようとしたりすること。誇示。)小さく弱いから大きく強くみせます。臆病だからこそ勇気をだします。失望したからこそ希望をもちます。内側に生じる矛盾こそ、僕のアイデンティティとなっています。終わる事のない、つきる事のない。そんな闘い。すみません。すごいマインド的な、パッション的なお話。「ドレスがセクシーなんじゃない。それを着る人がセクシーなんだ」-マーク・ジェイコブス決して(もの)がいいから(おしゃれ)ではないのです。皆さんが素敵なんですよ。文頭でお話した、春夏に味わう不安要素。繕うものが少ない(自身が露わになる)からこその不安なのかもしれないですね。うん。不安だけどワクワクしますね。そんな季節だからこそ、ファッションバイブス高めていきましょう。そして挑戦していきましょう。皆さんの夏の勝負服。店頭で何を選ぶのか楽しみです。 Mozzie

No.03 「外で繕い、内を知る。」

こんにちは。近頃の気温上昇に反して、下降する"ファッションバイブス"なんだか着用枚数とリンクしてる感じがしませんか?春夏はどうしても簡素になる。というか、着用する衣服枚数が少ない。なんだこの不安感。秋冬は寒い。だから、厚みを作ります。着用する衣服枚数は増え、身を包む。ほっこり安心感。使用する(着用する)アイテムが増えると、自然と組み合わせの楽しさがでますよね。『露わになる"衣"としての責務』そんなことを感じながら、私たちは服を着る。何気なく着用する衣服。繕い。恒常的に起きるノンバーバル・コミュニケーション(非言語情報伝達)。ただ着用するのではなく、私たちは"選択"をしています。気温、機能、環境、人々、集団、社会、象徴、文化、流行など、様々な状況下における選択。選択、判断、主張。その人らしさ。個性。アイデンティティ。 自己表現(私たちでいうファッション)において最大の武器であるアイデンティティ。反面、常に付き纏うアイデンティティの構成でおこる、自我同一性の拡散。エリクソンのライフサイクル理論、"アイデンティティの危機(拡散/混乱)"がおこる。まるで、青年期の発達課題のようなことがファッションを通して起きている感じがしますね。『"個"を主張すればするほど、その"個"にのまれる』そんな感覚。 本日の題目でもある『外で繕い、内を知る』選択した服を着る(外部を繕う)生じるアイデンティティ(内部を知る)みたいな。ね?イメージ。皆さんにとっての自分らしさって?外的要素、内的要素様々かと思います。改めて考えると難しいものですよね。僕自身同じ問いに対して、パッと答えはでません。僕は、以前までは、"内を知るのが嫌だった。信用もなく期待もしていない。そんな自分を隠すため外で繕っていた" (個で個を殺す)こんな感じ。イヤイヤ期。自分を知り理解することをしてませんでした。正直現在においても嫌なところばかりなんです。他と比較し絶望、焦り、恐怖、不安を感じ、期待もなく見込みもない。弱く小さく、ほんの一欠片でしかないことで押し寄せる無力感。そんな弱者である自分と向き合い、理解し、愛すること。現状は変わりなく。しかし"弱者"だからこそ"強者"への強い憧れがあります。※動物行動学用語でいうディスプレーのようなもの。(動物が求愛や威嚇の際に,相手に自分を大きく見せようとしたりすること。誇示。)小さく弱いから大きく強くみせます。臆病だからこそ勇気をだします。失望したからこそ希望をもちます。内側に生じる矛盾こそ、僕のアイデンティティとなっています。終わる事のない、つきる事のない。そんな闘い。すみません。すごいマインド的な、パッション的なお話。「ドレスがセクシーなんじゃない。それを着る人がセクシーなんだ」-マーク・ジェイコブス決して(もの)がいいから(おしゃれ)ではないのです。皆さんが素敵なんですよ。文頭でお話した、春夏に味わう不安要素。繕うものが少ない(自身が露わになる)からこその不安なのかもしれないですね。うん。不安だけどワクワクしますね。そんな季節だからこそ、ファッションバイブス高めていきましょう。そして挑戦していきましょう。皆さんの夏の勝負服。店頭で何を選ぶのか楽しみです。 Mozzie

No.02 「ファッションにおける理性と感性」

No.02 「ファッションにおける理性と感性」

こんにちは。皆さんにとってファッションと自身の距離感ってどのくらいですか?数値化するのは難しいですよね。ではパーソナルスペースで考えましょう。関係性などで大きく左右されますが、大きく4つ。まず公衆距離で(360cm以上)社会距離で(120~360cm)個体距離で(45cm~120cm)密接距離で(45cm以下)といわれています。どうですかね?改めてこれを基準にすると、どこに位置しますかね。ちなみに僕は密接距離45cm以下どころか1cm未満、常に隣にいるせいかもう1人の別の自分として認識してしまう始末。関係性はずぶずぶです。愛し合ってます。いや片想いかも。(ちなみにどの距離感にいてもいいと思ってます。ただ、近過ぎても、遠過ぎてもダメ。恋愛と一緒です。)まるで、ホステスとお客のような関係の僕とファッションなのですが、まぁなんていっても魅力的。飽きないんですね、これが。そんな「彼」に様々な想いを募らせています。しかし、ひとたび「彼」について紹介してよ!と言われれば、僕はキリストにおける七つの大罪。七つの欲望というやつですね。「彼」にピッタリなんです。『嫉妬、傲慢、怠惰、憤怒、強欲、色欲、暴食』という七つ全ての表情を持ってます。僕たちは「彼」に時間をかけ渾身的に対応しています。『労り、謙虚、勤勉、忍耐、施し、貞節、節制』僕たちの七つの表情です。そんな愚直に向き合う僕たちですが、それでも「彼」は振り向かない時だってあります。終わらない反抗期なんです。仕方がない。「彼」との付き合いに対して問題がある時、僕たちは僕たちに対して働きかけるものがある。「理性と感性、または悟性」である。 皆さんの「彼」との向き合い方は?・理性が強く働く(物事の道理に従い判断し行動。)道筋(文化、環境、生活など)における判断、または行動。・感性が強く働く(印象、感覚に伴う感動、衝動や欲望。)物質的、または非物質的なものから得る情感。・悟性が強く働く(諸事情に基づく論理的な思考における判断や行動)経験界に関する知性であり、感性的所与を総合的に統一して概念を構成し、対象を認識する。いかがですか?(〜寄り)や(どちらかというと)というのはあっても断定できないのではないでしょうか?要はあれですよね。「対象や自身の環境、状態において大きく左右する」って感じですよね。まあずるいですよね。ホロニカル心理学における理性、感性であっても、「外我と内我の繋がり、そして理性は感性をコントロールするためにあるのでなく、感性を理解するためにあると考え、感性と理性の対話がもっとも重要」と考えいます。はぁ。またきたよ。結局のところバランス感、そして対話。外部での対話。内部での対話。対話。対話。対話。ファッションってこんなにも難しいものなのでしょうか。私たちは、正解や答えが無いもの(曖昧なもの)に対して、経験、知識、前記した理性、感性、悟性を活かして答えを、そして正解を懇願し渇望しています。欲しがりで我儘な自分。(彼)に対しての表現が、今は自分自身に当てはまる。冷たく温かい。孤独。興奮。怒り。喜び。失望。希望。生じる矛盾を感じながら、私たちは服を着る。・生涯を振り返ってみれば、あるゆるものへの答えが愛であったことが分かるはずだ。-レイ・ブラッドベリうん。そうだったよな。そうだろうな。きっと。愛し愛される。いいね。うん。すごく。「彼」とはそんな関係を築いていこう。本日も愛を持って皆さまをお待ちしております。Mozzie

No.02 「ファッションにおける理性と感性」

こんにちは。皆さんにとってファッションと自身の距離感ってどのくらいですか?数値化するのは難しいですよね。ではパーソナルスペースで考えましょう。関係性などで大きく左右されますが、大きく4つ。まず公衆距離で(360cm以上)社会距離で(120~360cm)個体距離で(45cm~120cm)密接距離で(45cm以下)といわれています。どうですかね?改めてこれを基準にすると、どこに位置しますかね。ちなみに僕は密接距離45cm以下どころか1cm未満、常に隣にいるせいかもう1人の別の自分として認識してしまう始末。関係性はずぶずぶです。愛し合ってます。いや片想いかも。(ちなみにどの距離感にいてもいいと思ってます。ただ、近過ぎても、遠過ぎてもダメ。恋愛と一緒です。)まるで、ホステスとお客のような関係の僕とファッションなのですが、まぁなんていっても魅力的。飽きないんですね、これが。そんな「彼」に様々な想いを募らせています。しかし、ひとたび「彼」について紹介してよ!と言われれば、僕はキリストにおける七つの大罪。七つの欲望というやつですね。「彼」にピッタリなんです。『嫉妬、傲慢、怠惰、憤怒、強欲、色欲、暴食』という七つ全ての表情を持ってます。僕たちは「彼」に時間をかけ渾身的に対応しています。『労り、謙虚、勤勉、忍耐、施し、貞節、節制』僕たちの七つの表情です。そんな愚直に向き合う僕たちですが、それでも「彼」は振り向かない時だってあります。終わらない反抗期なんです。仕方がない。「彼」との付き合いに対して問題がある時、僕たちは僕たちに対して働きかけるものがある。「理性と感性、または悟性」である。 皆さんの「彼」との向き合い方は?・理性が強く働く(物事の道理に従い判断し行動。)道筋(文化、環境、生活など)における判断、または行動。・感性が強く働く(印象、感覚に伴う感動、衝動や欲望。)物質的、または非物質的なものから得る情感。・悟性が強く働く(諸事情に基づく論理的な思考における判断や行動)経験界に関する知性であり、感性的所与を総合的に統一して概念を構成し、対象を認識する。いかがですか?(〜寄り)や(どちらかというと)というのはあっても断定できないのではないでしょうか?要はあれですよね。「対象や自身の環境、状態において大きく左右する」って感じですよね。まあずるいですよね。ホロニカル心理学における理性、感性であっても、「外我と内我の繋がり、そして理性は感性をコントロールするためにあるのでなく、感性を理解するためにあると考え、感性と理性の対話がもっとも重要」と考えいます。はぁ。またきたよ。結局のところバランス感、そして対話。外部での対話。内部での対話。対話。対話。対話。ファッションってこんなにも難しいものなのでしょうか。私たちは、正解や答えが無いもの(曖昧なもの)に対して、経験、知識、前記した理性、感性、悟性を活かして答えを、そして正解を懇願し渇望しています。欲しがりで我儘な自分。(彼)に対しての表現が、今は自分自身に当てはまる。冷たく温かい。孤独。興奮。怒り。喜び。失望。希望。生じる矛盾を感じながら、私たちは服を着る。・生涯を振り返ってみれば、あるゆるものへの答えが愛であったことが分かるはずだ。-レイ・ブラッドベリうん。そうだったよな。そうだろうな。きっと。愛し愛される。いいね。うん。すごく。「彼」とはそんな関係を築いていこう。本日も愛を持って皆さまをお待ちしております。Mozzie

No.01 「ファッションの対義語」

No.01 「ファッションの対義語」

あなたにとってのファッションって?僕たちを虜にし魅了し続ける「ファッション」その「ファッション」を売りに商売をする僕。皆さんのファッションの始まりは?僕のファッションの始まりは、至極普通の出来事。例えば、悪い先輩がタバコを吸っていて、勧められてそれを吸う。「かっこいいな」「大人になった気がする」「悪そうだな(憧れから)」という想いを募らす。しかし、初めて吸ったタバコは臭いし不味い。おまけに頭までくらくらする。ファッションでいうところ、「おしゃれだと思われたい」「人と違う格好がしたい」「かっこよくなりたい(あの人みたいに)」「目立ちたい」「モテたい」そんなところだろう。僕自身もそうだった。実際のところ、評価は「変な人(格好)」「ダサい」「浮いてる」であった。さらにモテなくなった。それでも僕たちは負けなかった。「ファッション」を続けている。なぜか解らない。モテたい。間違えた。よし、理解しよう。「ファッション」の意。流行・流儀・やり方のこと。ん?僕らが魅了されるのは流行であるからか?確かに、先ほどのタバコや自身のファッションのスタートはある意味、流行といえるだろう。しかし、なんだか腑に落ちない。認めたくない。一見するとファッションを始めた僕たちにとって距離がありそうな、無関係のような。ファッションの対義語ってなんだろう。しかし、ファッションだと言葉の括りが大きい。絞ってみる。流行の対義語ってなんだろう。それは、「不易」。「不易」の意。どんなに世の中が変化しようとも絶対に変わらないことを言う。おぉ。近い。いや、矛盾している?結局解らない。そうだ。先人たちの考えや言葉を参考にしてみよう。松尾芭蕉なんてどうだろう。蕉風俳諧の理念の一つでもある「不易流行」という言葉がある。「不易流行」とは、いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものをも取り入れていくこと。また、新味を求めて変化を重ねていく流行性こそが不易の本質であること。俳諧でいう、不易(永遠に変わらぬ本質的な感動)と流行(ときどき新味を求めて移り変わるもの)とがあるが、不易の中に流行を取り入れていくことが不易の本質であり、また、そのようにして流行が永遠性を獲得したものが不易であるから、不易と流行は同一であると考えるのが俳諧の根幹である、とする考え方。似た言葉で、中国の論語を由来とする「温故知新」があるが、両者とも古いもの、新しいもの、両方を大切にする考えであるが、古いもののなかから新しいものを得る「温故知新」に対して、「不易流行」は古いものとは別に新しいものを取り入れることに重きを置いている。あぁ。そうか。なんだか解る。少しだけ。 僕たちを魅了し続けるファッション。単にいうと、それが流行=(変化)するものであれば、相対するのは不易=(変化しない)もの。しかし、不易の中に流行を取り入れることが本質。そして、流行が永遠性を獲得したもの、それは不易。よって同一。ふむ。では、結論Q. ファッションの対義語とはなにか?A. 解らない。が、外郭が見えた。結局解らず。しかし、外郭は掴んだ。うん。そんな気がする。だから、さらに奥。というか内側。それが"コア"な部分。"コアをぶらさず、新しさを入れる"コアが自分らしさ。それが「スタイル」なのかもしれませんね。スタイルの根本は不易であり、時に流行をとらえる。ということは、"コア(スタイル)"を追求することで何か見える気がする。まてよ。ファッションの意において流行と同じ意味を為す言葉。「流儀、やり方」。あぁ。うん。...ね?なんとなく?『ファッションはすたれるが、スタイルは永遠だ』―イヴ・サンローラン答えを出すには結局のところ、自分との対話が必要ですね。嫌気が指します。あぁ、だからやめられませんね。ファッションって。そんな僕とCARRY GO BRING COMEに是非ファッションのお手伝いをさせて下さい。ご来店お待ちしております。MOZZIE

No.01 「ファッションの対義語」

あなたにとってのファッションって?僕たちを虜にし魅了し続ける「ファッション」その「ファッション」を売りに商売をする僕。皆さんのファッションの始まりは?僕のファッションの始まりは、至極普通の出来事。例えば、悪い先輩がタバコを吸っていて、勧められてそれを吸う。「かっこいいな」「大人になった気がする」「悪そうだな(憧れから)」という想いを募らす。しかし、初めて吸ったタバコは臭いし不味い。おまけに頭までくらくらする。ファッションでいうところ、「おしゃれだと思われたい」「人と違う格好がしたい」「かっこよくなりたい(あの人みたいに)」「目立ちたい」「モテたい」そんなところだろう。僕自身もそうだった。実際のところ、評価は「変な人(格好)」「ダサい」「浮いてる」であった。さらにモテなくなった。それでも僕たちは負けなかった。「ファッション」を続けている。なぜか解らない。モテたい。間違えた。よし、理解しよう。「ファッション」の意。流行・流儀・やり方のこと。ん?僕らが魅了されるのは流行であるからか?確かに、先ほどのタバコや自身のファッションのスタートはある意味、流行といえるだろう。しかし、なんだか腑に落ちない。認めたくない。一見するとファッションを始めた僕たちにとって距離がありそうな、無関係のような。ファッションの対義語ってなんだろう。しかし、ファッションだと言葉の括りが大きい。絞ってみる。流行の対義語ってなんだろう。それは、「不易」。「不易」の意。どんなに世の中が変化しようとも絶対に変わらないことを言う。おぉ。近い。いや、矛盾している?結局解らない。そうだ。先人たちの考えや言葉を参考にしてみよう。松尾芭蕉なんてどうだろう。蕉風俳諧の理念の一つでもある「不易流行」という言葉がある。「不易流行」とは、いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものをも取り入れていくこと。また、新味を求めて変化を重ねていく流行性こそが不易の本質であること。俳諧でいう、不易(永遠に変わらぬ本質的な感動)と流行(ときどき新味を求めて移り変わるもの)とがあるが、不易の中に流行を取り入れていくことが不易の本質であり、また、そのようにして流行が永遠性を獲得したものが不易であるから、不易と流行は同一であると考えるのが俳諧の根幹である、とする考え方。似た言葉で、中国の論語を由来とする「温故知新」があるが、両者とも古いもの、新しいもの、両方を大切にする考えであるが、古いもののなかから新しいものを得る「温故知新」に対して、「不易流行」は古いものとは別に新しいものを取り入れることに重きを置いている。あぁ。そうか。なんだか解る。少しだけ。 僕たちを魅了し続けるファッション。単にいうと、それが流行=(変化)するものであれば、相対するのは不易=(変化しない)もの。しかし、不易の中に流行を取り入れることが本質。そして、流行が永遠性を獲得したもの、それは不易。よって同一。ふむ。では、結論Q. ファッションの対義語とはなにか?A. 解らない。が、外郭が見えた。結局解らず。しかし、外郭は掴んだ。うん。そんな気がする。だから、さらに奥。というか内側。それが"コア"な部分。"コアをぶらさず、新しさを入れる"コアが自分らしさ。それが「スタイル」なのかもしれませんね。スタイルの根本は不易であり、時に流行をとらえる。ということは、"コア(スタイル)"を追求することで何か見える気がする。まてよ。ファッションの意において流行と同じ意味を為す言葉。「流儀、やり方」。あぁ。うん。...ね?なんとなく?『ファッションはすたれるが、スタイルは永遠だ』―イヴ・サンローラン答えを出すには結局のところ、自分との対話が必要ですね。嫌気が指します。あぁ、だからやめられませんね。ファッションって。そんな僕とCARRY GO BRING COMEに是非ファッションのお手伝いをさせて下さい。ご来店お待ちしております。MOZZIE